しみずっちの窓から⑬ ~ 不便さから得られるもの ~
令和4年(2022年)9月13日
不便さから得られるもの
今週は連日県内小学校の合宿利用が続いており、生き生きと体験活動に取り組む子どもたちの姿がそこかしこに見られ嬉しくなります。コロナ感染対策等、安全確保のための制約はありますが、学校や住んでいる地域ではできにくい活動に思う存分浸ってもらいたいと願っています。
ところで、私たちの少年自然の家に、まれにですが「施設には自動販売機がありますか?」「お部屋はクーラーが効きますか?」など生活に関わるお問い合わせがあります。
このお問い合わせには「申し訳ありませんが、当施設では設置していません」とのお答えになります。加えて、「私たちの施設は、快適さを求めるホテルのような施設ではなく、体験機会を提供する社会教育施設です。古い施設で、足らざるところもありますが、その不便さも体験の機会と捉えていただけると有り難いです。」と説明させていただいています。
「便利」・「快適」・「効率」が求められる今の社会にあって、生活上の不便さにはストレスだけがたまる悪のイメージがはびこります。確かに現代社会では、AI化(自動化)が進み、人間が手間暇かけなくとも生活できる環境ができつつあります。(蛇口をひねらなくても手をかざせば水が出ますし、ロボットが勝手に掃除もしてくれます。とても便利で衛生的ですね。)
ただ、そうした快適な生活に慣れていくことで、生きていく上で必要な力が失われたり、弱まったりすることもあるはずです。「物は豊かになったが心は貧相になった。便利になったが、折れやすくなった。」年配の方からよくお聞きする嘆きの声です。
では、その不便さから何が得られるのか。
自然の家という制約や不便さが多い環境の中で、子どもたちの活動する姿を見て感じられることは、活動を通しての達成感や探究心の高まり、仲間と協働して得られるつながりの楽しさといったところでしょうか。(みんなとても良い顔をしています)これらは目に見えないものですが、先行き不透明な社会を生きる子どもたちにとって必要不可欠な力だと思うのです。
ちなみに私は趣味で野菜作りをしているのですが、土作りから手間暇かけて育てて収穫を迎えるあの過程がなんとも人間らしく(?)充実感を感じます。(笑)
私は便利さ・快適さを否定するつもりは毛頭ありません。生活を豊かにするためにその技術を生み出した方々にも心からの敬意を表します。要はバランスだと思うのです。便利さだけでは人間は弱くなります。不便さだけの生活では体が持ちません(苦笑)利用者の皆さんに、このバランスの大事さを考えていただくことも、私たち少年自然の家の大切なミッションであると勝手に考えています。
不便さから得られるもの、ぜひみなさんと考えてみたいです。
*おまけの写真:クルミやクリの実を集めにニホンザルが家族ぐるみ(?)で訪れにきます。(9/9 夕方撮影)